狂牛病とプリオン

狂牛病とプリオン―BSE感染の恐怖
【タイトル】  狂牛病プリオン BSE感染の恐怖
【著者】    フィリップ・ヤム
【出版社】   青土社
【発行年月日】 2006年3月10日
【版型 頁数】 四六版 355頁
【版 刷】   初版1刷
【ISBN】    4791762533
【価格】    2730円
【コメント】
  狂牛病、今世間を騒がせている厄介な病気と言うより、大きく社気問題化している米国産牛肉に関する『日米貿易摩擦』の根源及び『牛丼の吉野家』存亡の鍵を握る因子と言ったほうが良いかもしれない。
  著者は米国の科学ジャーナリスト、科学啓蒙雑誌として有名な月刊誌〔Scientific America誌、この日本語版が日経サイエンス日本経済新聞社〕などに寄稿している。
  本書は産業動物である牛の狂牛病、羊のスクレーピーと人間の病気であるクロイフェルトヤコブ病(以下CJD)の個別の研究史からプリオンというある種のタンパク質である感染因子に至る物語である。CJDは百万人に一人という大変に稀な病気だが、人肉食と関係するクールー病との類似性から大いに話題になった病気であるし、原因物質であるプリオン自体も大変にユニークな生活史を持つ物質であるため、発見当初より大変な注目を集めた。本書はその研究史を、主役である研究者達へのインタビューを交えながら語る科学読み物となっている。
  序章のあと、第1章、2章では英国のCJD患者を通してのヨーロッパの現状、第3章ではニューギニアにおけるクールー病研究の経過、第4章で羊のスクレーピー、第5章では病原物質としてのプリオンの発見に至る経緯を解説している。また6章から8章ではプリオンの特異な挙動、厄介さが紹介される。実際それまでこのようなタンパク質の存在は全く知られておらず、あっと驚くような挙動で“自己複製”してしまうタンパク質として生化学の分野でも注目された代物である。第9、10,11章では主にヨーロッパでの狂牛病騒動とその混迷、顛末が描かれる。12章以下が人での対策・治療・今後の展望についての話である。
  80年代の後半だったか、英国で大量の狂牛病が発生し、EU全体でも大騒ぎになった。人への影響を避けるため、各国議会は感染肉の流通を禁止し、EUだけでも1000万頭以上を焼却処分すると発表された。実際は短時間にこれだけ大量の牛を燃やす設備が無く、EUが資金を出して焼却工場を建設するというものだった。当然ながら日本、米国を含む全世界が影響を置けることになったのである。
  私、実はこれら研究の発端から牛肉問題に至る一連の経過をかなり早いうちから追っていたため、この本の内容についても相当な予備知識があった。最初に興味を持ったのは1980年頃、まだ学生だったが、日経サイエンス狂牛病プリオン特集を読んでからである。1から4章の内容はその当時もよく知られていたことだった。その後プリスナーらの研究成果により、プリオンなる物質の特性が次々と明らかにされるにつけ、大変興奮して文献を読んだ記憶がある。82年に就職してから暫く情報入手が途絶えていたが、90年あたりから家畜に関係する仕事にかかわるようになり、狂牛病問題に再会することになる。当時のEU、特に英国の混迷ぶりは目を覆いたくなるほどで、一時的にではあるがEU諸国をはじめとする諸外国との関係が相当に険悪になるほどだった。
  日本では対岸の火事ぐらいにしか思われていなかったが、先年初の症例が報告されて以後は大騒ぎになっているのは皆様ご承知のことであろう。但し牛肉関連業界はともかく、全日本人から見ると欧米と違って、肉製品は主食ではなく嗜好性素材であるためか冷静に見守るという気配が強い。大問題になっているのは米国との関係、貿易摩擦の要因としての狂牛病のようだ。
  米国もEU内での問題については対岸の火事的な態度であったが、自国内で症例が報告されてからはそうもいっておれなくなっている模様だ、ただ如何にもアメリカ的なのは、ある報道番組での一コマであるが、ニュースキャスターの『米国政府の安全対策がまだ不十分な今、あなたはこれからも牛肉を食べ続けますか?』という問いに対して、若い女性が『イエス。だって癌や交通事故で死ぬ確率の方がCJDで死ぬ確率より断然大きいでしょ』と答えていたように、実に明快であっけらかんと返答していたことである。これはアメリカ人の代表意見であるようだ。如何にもアメリカ的プラグマティズムである。このあたりはEU諸国民、日本人と全然違った対応をしている模様だと思われる。
  本書を読んでいろいろ思うことはあったが、最後に是非触れておかなければいけないのが翻訳者の長野敬氏である。自治医科大学教授を退官されてもう随分になるだろうか、生物学全般、生化学関係、進化学関係の著作・翻訳活動を活発にされており、小生お気に入りの書き手の一人である。この青土社からも先に取り上げた『はじめに線虫ありき』など数多くの翻訳書を出されている。理学部植物学科のご出身だったと記憶するが、とにかく取り上げる原書がいいのはもちろんだが、訳文がすばらしいのと『訳者あとがき』での解説、解題が簡潔で的を射た名文が多い。文庫版の小説などでも、小説本文より別の人が書いた『巻末の解説』の方がうまくて印象が強い場合が多々あるが、この方の“あとがき“は全部まとめて本にしてほしいと思うぐらいである。そんな訳で私の場合、この人の翻訳した本を買ってきて読むというのが習慣化している。今後もどしどし良書を取り上げ、我々に紹介してほしいと願っている。
【目次】
謝辞 … 7
序章 … 11
 病原タンパク質がもたらす死
1 デヴァイシズの死者 … 21
 無限に広がる将来の夢/不幸の予兆/「うつで死ぬなんてことはない」/五里霧
2 百万人に一人 … 37
 不運な少数者/CJDの診断/スティーヴンはCJDか?
3 「人食い種族」の笑い死に … 51
 未開拓の疫病/M*A*S*Hドクター/生涯をかけた追求の始まり/脳の手がかり
4 知識の切れ目をつなぐ … 69
 見過ごせない類似/スクレーピーを研究する/感染実験/ジョーゼットうぃ生贄に/
 クールーとCJDの関係/疫病の終焉/ノーベル賞に値する研究
5 プリオンの登場 … 87
 侵略者はタフな奴/捕らまえどころのない因子/TSEの新顔登場者/プリオン説の
 登場/死をもたらすフィラメント/正しいものと極悪のもの
6 厄介の家系 … 113
 遺伝病のコーディング/眠れない家系/1つのコドンに2つの病気/系統という
 パズル/プリオン説による病気の系統の説明
7 プリオン説証明の根拠 …137
 酵母プリオン/らせんから平板への転換/共同作用因子か、「低温核融合」並みの
 夢の説か?/銅との関係/病気は2種類
8 身の毛もよだつ恐怖 … 163
 原因を突き止める/強制された共食い/疫病に取り組む/狂ったシャム猫マッド・
 マックス/監視者/転換点にさしかかる
9 狂牛病の犠牲者 … 199
 死亡数の計算/狂牛病?/狂牛病の拡大
10 禁止法 … 219
 十字照準の中の牛/牛の防護柵/防護策の裂け目/米国型/緊急の場合には…/
 ブタと羊
11 呪われた鹿 … 243
 いちめんに拡散/鹿肉のかなた
12 医療のやり損ない … 259
 外科手術による感染/死をよぶ眼/破滅的なホルモン/つぎあての中のプリオン/
 欠陥血液/悲痛な歯痛/肉を超えて/謎の妙薬
13 治療法を求めて … 287
 古い薬を新しく使う/理詰めに考える/治療戦略の概要/プリオン病の診断
14 これからを占う … 311
 散発牲CJDを見直す/過小評価/怒れる異端者/メニューの選択/人工による
 「狂い」
訳者あとがき … 331
原注 … 9
人名索引 … 1