<本好きの人が持っている10の間違った認識と行動>について その2


先日、id:finalventさんの日記http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060614/1150259024にある『本好きの人が持っている10の間違った認識と行動』という発言について幾らかのコメントを書きました。よく考えると幾つかの疑問や書ききれていないことがありましたので、もう少し書き加えたいと思います。


まず第1の疑問、どういう理由でfinalventさんはこれを書いたのでしょうか?
①自らが本好きであり、自らの“欠点”を考えるとこれら10個が思い当たった。そこで自らへの“戒め”としてこれを日記に書いて、“こうあってはならぬ”と常日頃自らに言い聞かせている。言ってみれば、“自戒の念”である。
finalventさんは完璧な読書人であるが、周りにこういった特徴を持つ人たちがいて、finalventさんが不愉快な思いをしている。『汝、反省せよ』と言いたいがために書いた。
さてどちらだろうかといろいろ考えています。


第2の疑問、「正しく評価できる・・・」とか「正しく読んでいる・・・」という場合の『正しく』とはどういうことなのでしょうか?これは実は大変難しいというか完全には定義出来そうもありません。finalventさんの使われている『正しく』とは、しっかり精読しよく考え、よく理解するという意味で使われていると思いますが、これもまた不十分だろうと思われます。自分では精読し、考え、理解した積もりでも、実は全く理解不足だったということは十分にありえます。ですからこの『正しく』が定義されない限り、finalventさんの言われることは意味不明であると言えます。


第3の疑問、『・・・それは単なるコレクションだと言われるとむっとする』とあります。ここではコレクションを悪いことのように書いていますが、どうしてでしょうか?
① 本のコレクションなど金があればバカにでもできる。『読んで考える、自分の意見を持つ』ためにこそ本はあるのであり、本棚に飾って、その風景を鑑賞するためにあるのではない。要は読まない本を並べているだけでは意味が無い。
②本を所有することは重要ではない。図書館を利用すれば、大抵の本は読めるし、無ければリクエストするという手もある。この方がより経済的であるので、金とスペース(これも結局金に繋がる)の節約になる。
③人様にこういった本棚をひけらかして自慢げにするのは悪趣味である。
こんなところが考えられるのでしょうか?


私が最も理解し難いのは、『ローマ史とかハプスブルク家とか三国志演義とかディテールを知るために本を読む。』というご指摘です。そもそも基礎知識を得る、考え方を学ぶという観点から『読書』による学習はなかなかに効果的だと思えるのですが、読書による学習は間違いだとおっしゃる。なぜでしょうか?
読書意外にも学ぶ教材はいくらもあります。その分野の専門家に聞く、本意外のメディアから情報を得るなど即効性があり、効果的だといえるでしょう。但しその道の専門家は普通大変に忙しいので、誰にでも答えてくれるということは無く、一般人には実現しにくい方法ですし、メディア情報もまあ集めて整理するのに苦労するほど多数あり過ぎ、また“がさネタ”や“誤情報”も多数含まれるので、一般人が効率的に学習する教材にするには適さない面が強いのも事実です。私は、「取り敢えず書物より始めよ」というのは極めて妥当な学習方法だと思いますし、何故にfinalventさんが読書でディテールを知ることが誤りであるといわれるのか理解できません。


というわけで、いろいろ思いは駆け巡るのですが、この辺で終わりにしたいと思います。