小泉首相靖国参拝


とうとうやってくれた。終戦の日の参拝を匂わせていた小泉首相が、総理大臣として最後の終戦記念日にとうとう公式参拝を実行した。日本戦没者遺族会との公約であるというのがその理由であるそうな。後残り僅かの任期だから、この際に何でもやってしまえということだろうか?これでまたマスコミの話題沸騰で、近隣諸国も騒ぎ出すだろう。9月に就任するはずの“新総理”も前任者の“最後の置き土産”に苦りきっているに違いない。
靖国問題とは何なのか?私なりの解釈をまとめると以下のとおりだ。まだ政府の宗教への関与が違法とされていない時代に、戦死者を祭る神社、『靖国神社』が政府の資金により設立された。国のために戦い、死んでいった国民を弔い、祭るのは国の勤めであるというのがその理由である。日清戦争日露戦争、太平洋戦争などの戦死者は言うに及ばず、楠正成や戦国時代の武将なども祭られているようだ。日本では古来、同じような思想で時の権力者、大名なども同じように自費で神社、寺院を建立し、戦死者を弔ってきたという歴史・伝統がある。
しかし戦後、公共機関や公職者が公に特定の宗教に肩入れするのは違法とされるようになってきた。宗教の自由を損ねるというのがその理由である。従って公式の行事においては、神道や仏教など特定の宗教団体による儀式は行われなくなった。ただし戦没者慰霊祭においては1970年代まで政府要人の靖国神社参拝はそれほど問題にならなかった。そこまで細かく厳密に法律で解釈しなくとも、弔いの気持ちがあればそれでいいではないかという大らかな思想が有ったからだと思う。近隣諸国も別に時の権力者達が靖国神社公式参拝してもガタガタ文句を言うことは無かったのである。
大きく靖国問題がアジア的な問題になったきっかけは、この靖国神社に『A級戦犯』といわれる人たちも合祀されたからである。当時まだ存命で、自民党の影の実力者として暗躍していた“戦後の怪物”、自らがそのA級戦犯であり、東京裁判の結果を不服と考えていた岸信介がその首謀者だといわれている。神社側でも、軍人、政治家らの合祀には異論も無くすんなり受け入れた。このあたり靖国神社側のかなり右翼的な考え方、国家神道への時代錯誤などもあるかもしれないと思われるが・・・・・・。
とにかくここからアジア諸国の干渉が始まったのである。70年、80年代は左翼勢力の存在も大きく、広範な議論が展開された。そしてその問題が今もそのまま残っているのだ。考えてみると国側はこの間何らの具体的な制度改革もせず、相変わらず戦没者追悼のための靖国神社として位置付けているように見える。国側というより自民党政権はといったほうが良いのかもしれないが・・・・・・。要するに日本戦没者遺族会という組織は靖国神社を昔の意味そのものとして捉え、時の権力者により靖国神社での慰霊を望んでいる。そしてこの団体は自民党の有力な票田になっているのである。だからこの意向を無視できない。総理大臣が終戦記念日靖国神社に参拝し、戦没者慰霊の意を表するという公約が求められたというわけ。
この辺の構図は随分と単純で分かりやすいが、解決策はというと簡単ではない。まずは公的機関、公職者の宗教への関与を禁止する法律の策定、靖国神社への不干渉を明確にすべきだ。いまだに靖国神社側では国の庇護の基の慰霊施設という思いでいるようであるのでこれを強く否定しなくてはいけない。それから政府による慰霊施設の設立、無宗教による慰霊祭の実施が必要だろう。やろうと思えばできるはずなのだが、大票田・圧力団体としての日本戦没者遺族会との関係がなかなか断ち切れないでいる。
9月には新しい日本のリーダーが決まるはずだ。そのリーダーがどういう舵取りをするか注目している。それにより靖国問題アジア諸国との関係が改善できるかどうかの瀬戸際なのだから・・・。

1年半ぶりの帰郷にて


去年の正月以来1年半ぶり、両親に顔を見せに帰郷した。またまた景色の変化が甚だしく、昔の面影がどんどん失われていた。生まれ育った故郷が、経済発展を遂げ、生活が便利になったとはいえ、なにやら妙に淋しくも有る。とにかく大量の家・家・家・・・・・・。それから生活用品の店・店・店・・・・・・。食物屋の列、派手派手しい看板、ネオンサイン、そして車・車。車・・・・・・。40年前は、地方の政令指定都市の西端にある農村だったはずだが今はベッドタウンと大規模工業団地の共存する一大都市に変貌してしまった感がある。山という山は削り取られ、セミやクワガタ取りした場所も今は微塵もその姿を残してはいない。一体ここは何処なのかなどと思ってしまう。
今回も当ても無く昔走り回っていた道をさがして車を走らせたが、景色が変わり果てたのと昔の道自体がなくなってしまったので、当時の記憶が相当にぼやけてしまって、自分でも愕然としている。ここは何処なのだろう?確かに私にとっての故郷であり、帰ってくる場所であるはずなのだが、その場所が何処なのか殆ど思い出せなくなってしまうほど変ってしまった。
小学校当時、私の住むI町は人口6000人だと教えられた。それが今はなんと6万人ほどに増えているそうだ。40年間で10倍にもなる。I町のあるN区は人口が実に33万人となり、地方の中堅都市並みの規模になった。昔は西端の農村中心の区であったのに・・・・・・。全くエライことになってしまったものだ。
こういうことは日本中何処にでもあることなのだろうか?何もこんなにも激変させることはないだろうに、ちょっとだけでもたまに帰ってくる人のために懐かしい風景を残しておいてよと思っているのは私だけではないだろう。これじゃ両親がいなかったら、全然知らない町かと思ってしまうではないか。
いつもながら帰郷するとその変り様に驚くばかりだが、際限なく変りつづける様は最早不気味でさえある。とどまることを知らないその様は一体何処まで行こうとしているのか?誰がこんなに変えてしまうのか?私の故郷は何処へ行ってしまったのか?
漠然とでは有るが、定年退職後はここへ帰ってこようと思っている。しかしこれではその甲斐もないかななどと不安になる。さあてどうしよう。考え直さないとなどと思っている今日この頃だ。

ダーウィンの足跡を訪ねて


ダーウィンの足跡を訪ねて (集英社新書)
【タイトル】  ダーウィンの足跡を訪ねて  はてな年間100冊読書クラブーNo.069
【著者】    長谷川真理子   
【出版社】   集英社集英社新書
【発行年月日】 2006年8月17日
【版型 頁数】 新書版 205頁
【版 刷】   4087203557
【ISBN】    初版一刷
【価格】    998円
【コメント】
集英社のPR誌『青春と読書』に計16回連載された内容を単行本化したもの。ダーウィンの人となり、業績をその足跡を追いながら楽しく解説してくれる本だ。ダーウィン本はこれまでいくつも出版されているし、その足跡もたくさん紹介されているが、日本における第一級の進化学者による本なので購入した。著者は総合研究大学院大学*1教授、動物行動学、行動生態学、進化生物学専攻。性選択に関する著書多数、『クジャクの雄はなぜ美しい?』などこの分野の啓蒙書等も多く出版しているこの分野の第1人者。ダーウィン研究でも知られ、『ダーウィン著作集』・文一総合出版の編者でもある。
本書はダーウィンの歩んだ足跡を追いながらその地においての彼の仕事を紹介しつつ、当時の上流階級社会・学会・研究・進化思想などを解説する。初心者にも分かりやすいような文体で、丁寧に楽しく語る科学読み物となっている。
またカラー写真が美しく、効果的に配置されている。しかしこの色合いを強調する目的で、通常の新書用紙ではなく、やや厚手の上質紙を使用しているため、背景が白すぎて大変に活字が読みにくい紙面になっている。読ませる本にこのような白すぎる紙を用いるのはよくない。これは相当な減点であるといえる。
ダーウィン関連本が数年前より多数出版されるようになってきた。生誕何年だかの記念出版にあわせているのだろうか?それとも単に研究が活発になってきたからなのだろうか?いずれにせよ私にとって重要な分野なのでできるだけ読破するように努めたいと思っている。
【目次】
1 ダーウィンのおもしろさ ・・・ 9
2 シュルーベリ ・・・ 19
3 メア・ホール ・・・ 31
4 エジンバラ ・・・ 43
5 ケンブリッジ part 1 ・・・ 53
6 ケンブリッジ part 2 ・・・ 67
7 ウェールズの山 ・・・ 77
8 ビーグル号の航海 ・・・ 89
9 ガラパゴスの動物たち part 1 ・・・ 101
10 ガラパゴスの動物たち part 2 ・・・ 117
11 標本のゆくえ ・・・ 127
12 エマとの結婚 ・・・ 137
13 ダウン・ハウス part 1 ・・・ 149
14 ダウン・ハウス part 2 ・・・ 161
15 モールヴァン&イルクリー ・・・ 171
16 ダーウィンの死 ・・・ 187
あとがき ・・・ 197
参考文献 ・・・ 205

ダーウィン―世界を変えたナチュラリストの生涯 ダーウィンと家族の絆―長女アニーとその早すぎる死が進化論を生んだ ダーウィンの時代―科学と宗教 ダーウィン前夜の進化論争 チャールズ・ダーウィン 生涯・学説・その影響 (朝日選書) 

*1:三浦半島の葉山に本部を置く国立大学法人。日本文化研究センター、岡崎基礎生物学研究機構など全国の散在する文部科学省関係の研究機関内にその施設があり、大学院後期過程が置かれている。

20世紀・冷戦


20世紀 冷戦 (中公文庫)
【タイトル】  20世紀・冷戦   はてな年間100冊読書クラブ−No.068
【編著者】   読売新聞20世紀取材班    
【出版社】   中央公論新社(中公文庫BIBLIO S17-6)
【発行年月日】 2001年11月15日
【版型 頁数】 文庫版 281頁
【版 刷】   初版1刷
【ISBN】    4122039355
【価格】    680円
【コメント】
本巻は読売新聞20世紀取材班による20世紀シリーズの第6巻、冷戦についての歴史記述。第2次世界大戦の戦後処理終了から東西の新たなる対立、米ソ、ハンガリーチェコ・スロバキアの悲劇、東西ドイツ南北朝鮮、南北ベトナムなど分離・分割による二極対立の構図。他にも印パ紛争、イスラエル問題、スエズ動乱キューバ危機など数々の争いがあった。ことの始まりは全て米ソ二国間の覇権争いである。核開発競争など不毛の“技術競争”は世界的無駄遣いもいいところだと思う。平和的な開発に向ければもっと有意義な資金となるはずだ。
第2部では2大勢力以外の第3世界について。アジア、アフリカ、中南米の諸国は戦後独立を勝ち取り、両陣営に組みせず、独自の考え方で自国作りに励んでいる。現在も所謂先進国首脳会議に対抗して、第3世界の結集を目指した世界組織が活動している。そんな勢力の紹介が中心。といえども弱小国が多いので、どちらかの陣営に組みしないと自力だけではなかなか這い上がれないので、援助という名のエサで傘下に組み入れられてしまいそうになる悲哀の物語。
なにやら世界の勢力の内で、中国が抜け落ちているように思うが・・・・・・。これも既に強大な国力を背景に覇権を競う一大勢力になっているのだから何某かの記述があってしかるべきだが、戦後直ぐは旧ソ連よりの東側陣営に属し、毛沢東無き後は、ソ連とは一線を画し、独自の共産主義路線を歩む勢力として位置付けるべきだろう。
世界を揺るがす国々は何れも大国であると思うが、唯一の例外はイスラエルであろう。この国自体は中東の小国に過ぎない。どうしてこんな国に世界各国が振り回されるのか?有無を言わせず力の論理を捨てさせることが出来ないのか?どうやらバックにいるユダヤ資本なるものがグローバルな存在であり、あまりに強力な権力をもっているといえるようだ。だからこのユダヤ資本を黙らせない限りイスラエルの暴力は押さえられそうも無い。そんな気がしている。
【目次】
1 東西対立
「戦後体制」の幕開け ・・・ 10 / 欧州統合「懲罰」から「連携」へ ・・・ 18 / 
不戦の欧州統合夢見た日系貴族 ・・・ 27 / 
国際連合創設 理想主義ではなく、現実政治に根ざす ・・・ 33 / 
非ナチ化 ドイツ占領政権の柱、数々の悲喜劇も ・・・ 40 / 
ドイツ戦後憲法 改正四六回高まった正当性 ・・・ 44 / 
マーシャル・プラン 欧州東西分離の契機に ・・・ 48 / 
NATO発足 西欧、ソ連の脅威に対抗 ・・・ 55 / 
冷戦思想 「善」と「悪」に二分された世界 ・・・ 59 / 
東独成立 ベルリンの壁はいかに築かれたか ・・・ 77 / 
東西分断 故郷喪失の悲しみと恨み ・・・ 85 / 
朝鮮戦争 冷戦の力学に飲み込まれて ・・・ 89 / 
ハンガリー動乱 砲火にねじ伏せられた市民革命 ・・・ 100 / 
プラハの春 30年後へ「改革」の種子残す ・・・ 104 / 
政治に翻弄された五輪の星 ・・・ 108 / 
ベトナム戦争 死者三百万人 20世紀最長の戦争 ・・・ 119 / 
米ソ核開発戦争 瓶の中の2匹のサソリ ・・・ 135 / 
ポーランド「連帯」運動 知識人も体を張った「独立労組」 ・・・ 148 / 
ベルリンの壁崩壊 国家が国民に降伏した瞬間 ・・・ 152 / 
市場経済へ 旧ソ連、東欧の軌跡と展望 ・・・ 159
2 第3世界の変化
アフリカ独立 「完全なる自由」を求めて ・・・ 176 / 
“アフリカ合衆国”夢見た男 ・・・ 189 / 
印パ独立 確立した南アジアの対立構造 ・・・ 198 / 
イスラエル建国 人類最大の奇跡と悲劇 ・・・ 205 / 
スエズ動乱 不動の指導者得たエジプトの熱き戦い ・・・ 212 / 使命感の遠征 ・・・ 219 / 
キューバ危機 核戦争に最も近づいた日 ・・・ 224 / 岐路のキューバ ・・・ 231 / 
教会との和解 ・・・ 236 / ピーターパンの子供 ・・・ 241 / ホメイニの帰還 ・・・ 245 / 
意図された混乱 ・・・ 259 / 消えた熱狂 ・・・ 254 / 統治か後見か ・・・ 256 / 
揺れる権威 ・・・ 262 / 「援助」という名の麻薬に溺れて ・・・ 266
参考文献 ・・・ 275
執筆者・掲載日一覧 ・・・ 280

あるエリート官僚の昭和秘史 武部六蔵日記を読む


あるエリート官僚の昭和秘史―『武部六蔵日記』を読む (芙蓉選書ピクシス)
【タイトル】  あるエリート官僚の昭和秘史 武部六蔵日記を読む(市立図書館より)
        はてな年間100冊読書クラブ−No.067
【著者】    古川隆久   
【出版社】   芙蓉書房出版
【発行年月日】 2006年4月1日
【版型 頁数】 四六版 222頁
【版 刷】   初版1刷
【ISBN】    4829503742
【価格】    1890円
【コメント】
昭和史、戦争の解説書を何冊読んだろうか?最初の頃はこれで何冊と数えていたが、いつのまにか忘れてしまった。中には資料として面白いものもあった。中でも日記は意外と貴重な資料になり得る。本書は満洲国に関わる重職を歴任したエリート官僚の戦中日記である。立場が立場だけに個人的な日記であっても、その内容に相当な資料性があるようだ。この日記の作者は、これを公表することを前提としていなかったので、かなり際どい内容も含まれている。そこが結局歴史史料として重要なことなのだろうと思う。満洲国内情の赤裸々な実像が生き生きと語られる第一級の史料である
日記というものは不思議なもので、後世に読んでもらうため、公開する事を前提にして書かれたものが多数存在する。だからかなりの誇張や創作、推論、我田引水、自画自賛*1などが含まれることが多いので、歴史史料として読む場合は注意を要するそうだ。
著者は日本大学文理学部教授、日本近現代史専攻。著書多数、本書の基になった『武部六蔵日記』の発掘・編集・出版に関わった人である。本書はその日記の“ハイライト”部を解説したもので、ぞくぞくするほど真実味のある昭和秘史を伝えている。
昭和史の中にあって、満州国の存在は特に重要だ。明治後期の外交史、戦争史に引き続いての満州国建設、拡大は『大東亜共栄圏』建設・世界制覇へと向かう日本の植民地政策の中心にある存在だった。ただ先日のNHKスペシャルにもあったが、その影で悲惨な満洲開拓を軍部に強いられた一般人も多かった。そんな満州国の内実を伝える本書はまさに昭和秘史にふさわしいと思われる。また一般人民の目から見た昭和史という視点での考察も重要と思う。本書にある参考文献などを頼りに更に日本の植民地政策についても調べて見たいと思っている。
【目次】
はじめに ・・・ 1
第一章 日記が始まるまで ・・・ 7
武部の生い立ち ・・・ 8 / 武部の官界入り ・・・ 12 / 武部の渡満 ・・・ 19
第二章 皇帝溥儀 ・・・ 21
溥儀の訪日 ・・・ 32 / 溥儀の実像 ・・・ 37 
第三章 現地の人々 ・・・ 47
張燕卿の招宴 ・・・ 42 / 親鸞と不信 ・・・ 52 / 阿片と抗日運動 ・・・ 60
第四章 関東軍 ・・・ 67
治外法権撤廃・満鉄付属地行政権移譲問題 ・・・ 68 / 高まる関東軍への不満 ・・・ 78 / 協和会問題 ・・・ 81
第五章 満洲の日本人 ・・・ 97
松岡洋右鮎川義介 ・・・ 98 / 日本人住民たち ・・・ 105 / さまざまな日本人たち ・・・ 112
第六章 満洲から見た日本と中国 ・・・ 118 
二・二六事件軍閥抗争 ・・・ 120 / 日本の政局と外交 ・・・ 125 / 日中戦争 ・・・ 134
第七章 日本に戻って ・・・ 135
帰国 ・・・ 140 / 国策会社の設立 ・・・ 143 / 陸軍との駆引き ・・・ 150 
第八章 企画院次長として ・・・ 163
国策立案の中枢へ ・・・ 164 / 多忙な日々 ・・・ 167 / 貿易省問題の挫折 ・・・ 174 / 陸軍の政策立案に関わる ・・・ 182 
第九章 再び渡満、拘留、帰国 ・・・ 191
満州国総務長官 ・・・ 192 / 敗戦と拘留 ・・・ 201
おわりに ・・・ 211
あとがき ・・・ 215
人名索引 ・・・ 222

*1:最近では中曽根某の防備録などがある。これなど典型的な我田引水・自画自賛型だ。

私はこれでいいのだろうか?


このブログを書き始めて、半年ほどが経過し、エントリー数が150になった。何度か読み返してみて、良く書けたなと思える頁も幾つか有るけれど、総じて駄文ばかりでどうもイマイチ冴えないなぁー・・・・・・と思うことが多い。だからなかなか読んでくれる人も増えず、ボチボチである。
しかし一体どのくらいこのエントリー作成に時間をかけているかというと、相当に長いはずだ。正確に測定はしていないけれど、1件平均2時間くらいは掛かっていると思う。読書に要する時間は除いて、純粋にこの文章作成に要する時間がこのくらいである。だから私の1日に占めるブログ作成に要する時間は相当に大きい。すっかり“オタク化”してしまったといえる。
今日、ふと疑問に思った。さてこれでいいのだろうか?自分のメモ帳・活動日誌・自己記録という位置付けでは、一応の役割を果たしているように思える。日々何某かの思いをまとめ、幾らか考え、文章を書くという行為自体はいいことだし、それなりの成果になっているのかなと思っている。何しろ1日2時間もかけているのだしね。
しかし情報発信・情報交換という点ではなかなか思うに任せず、読者各氏の反応もあまり無く、どうやら自己満足的なものになりつつあるようだ。そもそも日記や読書メモという類のものを公開しても、世間的にはあまり意味が無いように思える。だから非公開にしたほうがいいのかなと・・・。今はそう思っている。
最初コメントのやり取りをどんどん出切れば楽しいだろうなと思っていたが、これも思うに任せない。幾つかのコメントを貰い、自分からも幾つか他ブログに書き込んだだけである。自分からコメントをもっとたくさん発信すべきだったなと反省している。関心のあるエントリーにもっと積極的に関わるべきなのだと・・・・・・。
今後のこのブログのやり方として、どうしたらいいのかもっと考えなければと思っている。さてさて・・・・・・。

無残な結果に


これまで何度かふれてきたが、この春より庭造りに挑戦している。わずかばかりの土地だが、幾らかの花壇が取れるスペースがあるので、いろいろな花を育ててみたいと思い、まずは10種類程の種を蒔いたのが3月中旬、それから5ヶ月ほど経過した。結果はあまりに無残なもので、なでしこの数本のみがまともに咲いただけで、約200の苗が全て枯れてしまった。
別に水やりや草引きをサボったわけではない。アスター、インパルスなど期待していた美しい花を見ることが出来ず、矮小な草体のみが残っていたが、それも先日枯れた。どうやら春先の低温と日照不足が原因であるらしい。何しろ2ヶ月間は双葉のまま成長もなく、発芽直後の大きさのままだった。この時点でこれは駄目だなと思っていたが、捨てるには忍び難く、そのまま世話だけは続けてきた。だがやはりこの時期の生育不良が祟り、5月以降気温が上がってきても葉が大きくならず、茎も殆ど伸びず、極めて弱々しい苗となった。
というわけで、庭造り初戦は見事に失敗した。今度は秋蒔きのパンジーなどの種を蒔こうと思っている。それから菊の苗を10本ほど育て、先日挿し木した。どうやら無事ついたようで、元気に緑が濃くなってきている。他には貰いもののバラの切花から茎を切り取り、挿し木したら3本ほど葉が出てきた。これも先日地面に植え替えた。別に購入したバラの苗は育ちは悪いものの、美しい花をつけている。
というわけで幾らかは庭らしいところも見られる程度には賑わってきたと思っている。秋植えの花が咲く頃にはもっと華やかになっているよう期待している。